直感って一言で言っても、色々種類がありまして。

こんにちは、エミです。
前回のブログ記事で「直感に従って生きてみたい」なんて書いたのですが。

today-is-emi-biyori.hatenablog.com

 

自分で書いたのを読み返して思ったんですが、ここで書いている直感ってそもそもなんだ?
って自分でも思ったので。

今回は、今まで感じていた「わたし的直感」を書き記してみます。

 

いまいち、他人様と直感を比べるなんて事も難しいとは思うのですが。
「あ、これは直感ってやつでは?」って、誰かの参考資料になるのであれば、嬉しいなと思っています。

 

 

 

直感にも色々な種類があるなと思っている今日この頃

1.いきなり脳裏にビジョン系

普段は幽霊とか、生霊とか、その他魑魅魍魎系を見て生活をしているわけでは無いんです。
そんなもの毎日見てたら病む。
毎日見ているわけでは無いからこそ、ある瞬間に急にスイッチが入って、脳裏にビジョンがバーンって飛んできて、そこから目視でも見えてくるみたいな。

ちなみにですが、これは生霊や幽霊だけではなく、自分の未来の景色もたまーにこの方式でビジョンが飛んでくる時があります。


例えば、私の場合ですが。

私は講師業を始める前はアンティーク雑貨屋の店員として働いていました。
が、その雑貨屋の店主が傍若無人すぎて、若輩者の私は思ったのです。

 

「もうここにはいられない!でも次どんな事を仕事にしたいのか分からない……」

 

そんな風に心底悩んでいた時、ふと過去の自分が「講師業でも良いなと思っている」ってポロッと口にした言葉を思い出したのです。

その言葉を思い出してから、私がやり始めたのは【すでに講師業に就いたと思って、目の前の仕事を行う】っていう、今思うと器用なことしてるなと感心してしまう事を行なっていたのです。

 

目の前の仕事は【アンティーク雑貨屋の仕事】なんですが、私の中では【講師業のためにやる事務作業】みたいな感じで捉えて仕事をしていました。
そのうち、脳内では講師としてレッスンを行なっている自分のビジョンが、結構鮮明に浮かんで来たんです。

 

そして、ある日そのアンティーク雑貨店で「自分がここで働くのはここまで」と感じる出来事があり、そのまま退職。

 

私の人生の中では、今はもう当たり前になった【強制終了】というものをまじまじと感じた出来事でした。

 

その後、講師業の募集に応募して、奇跡的にとある教室の講師として働き始め1年程度が経過した頃。
教室の雰囲気をHPに載せるために、私がレッスンをしている写真を載せることになったのです。

 

私が【アンティーク雑貨屋】でビジョンとして見えていたもの、それは【教室のHP用に、私がレッスンをしている様子を写した写真】が見えていたのです。
意味が分からないでしょ……私も当時は、その写真を見た時に鳥肌が立った&そんなことが本当に起こせた事が、もう意味が分からなかったのです。

 

今となっては、あの頃の自分に感謝しかなくて。
アンティーク雑貨店で変に疑わずにビジョンを受け取ってくれた私にも、講師業を始めて写真を撮ってもいいと二つ返事で答えた私にも。ほんと、今は感謝しかない。

 

もし、自分の中に「こんなこと今まで考えたことないけど、それをやっている自分のイメージにしっくり来る&リアルに想像できる」ってビジョンがバーンと飛んできたら。
もしかしたら、そのビジョンが次の自分にとっては【当たり前な環境】として生きているステージかもしれないです。

 

ただし、そのビジョンを受け取っても「でもなー。今の自分には時間もお金もないし、そこまで行ける気がしない」って何かと理由をつけて難しいと感じてしまうと、そのビジョンは叶わないことが多いです。

 

なので、何か自分の中でビジョンが飛んできた時に「あー、次はこんな風に生きて行っていいんですねー」って受け入れられると、時間は必要ですが叶うことが非常に多いです。

 

不思議ですよね。私も自分でこんなこと書いていて、いまだに非現実的で全部が全部信じ切れていませんが……。

 

が、今後の人生は、その飛んできたビジョンを素直に受け入れようと思っています。

 

2.この場所に呼ばれている気がする系

「今まで全然興味なかったけど、なんかこの場所が最近気になるなー」
ふと、20代半ばに一人旅をしてみようと、色々な観光地を検索していた時のこと。

私にとってそんな感情を抱いた場所は、京都府宮津市
自身の誕生日に一人で夕日ヶ浦温泉の旅館に泊まって、その次の日に宮津へ行ってみることに。

そもそも宮津に行ってみようと思ったきっかけは、夕日ヶ浦温泉から近い観光地だったって理由でしたが、調べてみると日本で二番目に古い教会が存在しているのを知ったから。


しかも、その教会は日本でも珍しい床が畳の教会で、日本の文化と海外の文化が融合した建築物であると記載されており、興味が湧いたのです。

カトリック宮津教会

宮津市に降り立って、観光協会のカウンターでロッカーを使用したいので小銭に両替してもらえないかお願いすると、ジュースでも買って小銭を用意してくださいと冷たく言われ。

 

しかもジュースを買ったのに、結局ロッカーのサイズと私の荷物のサイズが合わず、モヤっとしながら歩いて宮津の教会まで向かうことにしたのです。

 

内心「こんな辺鄙な海辺の町に、私にとって何があると言うのよ……」って思いつつも、折角だから教会の中を見学させて頂きました。


ミサの日以外は、内部の写真さえ撮らなければ見学可能だったので、見学させていただくことにしました。

中は船大工さんが船底を作る技術を応用したカーブ状のハリが、しっかりと天井を支えている構造をしていました。


ステンドグラスに光が差して、畳の床にこぼれた光が美しすぎて、ずっと床を眺めていられる不思議な感覚に感動したのを覚えています。

 

見学を済ませた後、教会の信者さんにお声をかけて頂き、教会の成り立ちを教えて頂けました。


とても上品なご年配の女性で、船大工さんが船底を作る技術を応用した天井であること。
この教会の牧師さんは宮津を愛して、宮津のためにこの地で尽力して亡くなったことなど、その女性からとてもこの環境を愛しているのが、その時とても伝わったのも心に残っていて。

 

ふと「私、実はあまり調べずに宮津の教会を見るためだけにここに来たのですが、もし他におすすめの場所があれば、教えて頂けませんか?」と話したところ、その女性がおすすめの場所まで車で送ってくださることになったのです。

 

見知らぬ私を、わざわざ車でおすすめのところまで送ってくださる。


こんなことがあるのかと、不思議な気持ちになりながら送ってもらった先は「旧三上家住宅」でした。

旧三上家住宅 宮津の豪商のお屋敷

旧三上家住宅に着いたら、スタッフの女性に「お車でいらしたんですね!お婆様ですか?」と聞かれたのですが。


「あ、いえ、宮津教会を見学したら信者の方にご好意でここまで送って頂けたのです」って話をしたら「え!全然知らない方なんですか!?」と驚かれました。(当たり前の反応)

 

豪商のお屋敷を一人でゆっくり見学した後、スタッフさんに縁側でお茶を出していただいて、その方とも色んな世間話をしました。


「最初、知っている方が送ってくださったのだと思っていたんだけれども、知らない方がご好意でここまで送ってくださるなんて……きっと貴女には、人徳があるのね」


スタッフさんの【貴女には人徳があるのね】っていう言葉を聞きに、私は宮津まで来たのかと。

その一件から、何だか呼ばれている気がする(今まで一切興味なかったのに)と言う場所には、遅かれ早かれ行くべきなんだろうなと思うようになりました。


小さな一言でも、後々自分の人生の考え方を変える出会いがあるかもしれない。
そう思うと、楽しみで仕方ないなと思っています。

 

3.ふわっとお告げ系

前回のブログの内容にもチラッと書いたのですが、ふわっとライトな感じでお告げ来たりします。

 

遡ること、ゴールデンウィークに彼と会う前。

お風呂に入って気が抜けてとてもリラックスしてた時に、ふと「彼とお別れするよ」って、そんな声が聞こえて来たんですね。

 

はて……??

ゴールデンウィークに会うのに、彼とお別れするとは??

 

最初は正直、気のせいだと思ってたんです。

そりゃね、あと数日したら彼に会いに行く約束までしてるのに、彼とお別れするなんて思いながら会いに行くのは可笑しいじゃないですか。

 

だから、なんとなく気のせいだと思って、スルーしてたんですよね。

が、日に日にしつこく「彼とお別れするよ」って声が寝る前やらお風呂入ってる時やら、リラックスしようとすると言葉が入ってきたり声がしたりするので……。

(ちなみにこういう現象、私は結構頻繁にありましたが、全部気のせいだと思ってスルーしまくって後々痛い目見てました)

【2023年7月6日 直感に従って生きてみたくなったヘビーな話】より

 

霊感強い地元の友達に、このこと話したら「でも、先にお告げくるの便利よね」って言われました。そっかー、これがお告げかー(白目)

 

こういうことも今に始まったことでは無いんです。


結婚してしばらくしたある友達が、夢の中に出てきて「エミ!これが私の子供!」って子供を紹介される夢を見たんですよね。


その夢を見た翌朝、友達に「夢の中のあんたが、私に自分の子供ができたって紹介する夢見てんけど、妊娠しているのでは?」って伝えたんですよね。

 

後日「ほんまに妊娠してた……しかも何週目か計算で遡ったら、エミが夢で子供紹介してきたって頃に妊娠したみたい」と。

 

ふわっとこう言うお告げがたまに来るのと、ぶっちゃけ私の意図の範囲外で急に飛んでくるので。

 

こう言うのをふわっとキャッチしていくと、果たして私はどんな風に変わっていくのか単純に興味が湧いてきたので、これからの人生は直感に従って生きてみたいなと思ったんです。

 

直感と思考は実は別物

思考は思考で必要だけど、思考に囚われると辛い

こんな私も、今の今まで思考に囚われていたこともあるのです。

・彼と一緒に生活して、後々結婚できたらな
・今の仕事は辛いけど、とにかくがむしゃらに続けなければ
・とにかく目標を達成し続けなければ

とかね。

 

が、直感が結局のところ「そっちじゃないよー」って方向に進もうとすると、色んな方法で強制終了かけてくることが非常に多かったんです。


思考で動くときは【世間体】や【常識】、【普通】や【本来ならば】といった枕詞が付くような思いや計算で動く時なのではないかな?って、何となく違いを感じるようになりました。

 

もちろん、思考は思考で必要なんです。
じゃないと人間社会で上手く生きていけないので。


けど、思考(〜である、〜でなければいけない、〜が本来は当たり前)の原動力で動くと、後々すごく囚われて辛いことも多く、その匙加減は自分で調節していく必要があるなと思っています。

 

思考と直感の違いを把握した上で、バランスよく直感をとっていく

今の私の目標は、これ。


当たり前だけど、まだ生活はしてかなければならないので思考も使っていきます。
が、思考した後、直感に問いかけるって方法で色んなことを検証していきたいな。

 

こんなこと、本当はする予定ではなかったんですがね。
でももう、色々自分の感覚を否定できないことが立て続けに起こると、認めざるを得ないなーって。

 

今回はここまで!
ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。